12/31/2016

サルトシ

2016年もあとわずか。
いろいろ書きたいことがいっぱいあったのだけれど、時間がなくなってきたし、最後くらい少しゆっくりしようと思うので、また次の機会に。

2017年も引き続き宜しくお願い致します。

12/19/2016

Figure Drawing #61


少し間が空いてしまったクロッキー。せっかく最近気に入っていたところは理由はわからないが開催されなくなってしまい、再開の目処もないらしく、もんもんとしていたので、ちょっと遠いけれど、少し前までお世話になっていた銀座のクロッキー会にお邪魔してきた。

少し鈍ってる感じは否めなかったけれど、楽しむことができました。
スキャン後にコントラストをあげているので見た目にはわからないと思うけど、なんか線の感じが違うなぁと思っていたら鉛筆を間違っていたことに、あとから気がついた。ダンスをやっているせいかとても姿勢が良く、キリッとしたモデルさんで、もっとしっかり描きたかったので、もったいない。

さて、この銀座のクロッキー会も、訳あってたぶん次は行かないかなという気もするので、改めてクロッキー難民です。どっか近くていいところないかなぁ。





12/15/2016

ハナ


ちょうど一年前に個展をさせて頂いた中目黒の美味しいレストラン、シェリールカブレにて12月15日からグループ展が始まります。花をテーマに1点描かせてもらいました。来年1月末までやってます。どうぞ気楽にお食事がてら寄ってみてください。(上は作品の一部。)
I'm in this group show at this restaurant in Tokyo, where I had my solo show a year ago. It goes from Dec 15th till the end of Jan 2017. The theme was simply "flowers," and I just dropped off a freshly made painting. Please swing by if you're around!


12/06/2016

美術部第12回:Still Life

Still Life(静物画)を描こうということで、参加者おのおのに好きなものを持ってきてもらって、テーブルの上にランダムに並べて描きました。

好きなものを描く、というのは僕が絵を描く上で一番土台にしているもの。子供が恐竜だったり、車だったり、女の子だったりを描くのと同じで、自分が何かを好きだと感じた時に、絵を描くという行動が、一番体にしっくりと馴染む。よく見て、認識して、自分というフィルターを通して記録する。逆にいうと、描くという行動を通して、その対象に対する自分の感情を実態を伴った何かとして認識することができる。

またよく思うのだけど、自分が今、何が好きかというのは、自分の潜在意識に結びついていて、好きな理由を理屈的に並べることはできるけれど、結局は好きという感情が先に起こり、あとから意識がそれを正当化しているような気がする。もともともった自分の特性とか、そこに至るまでの記憶の積み重ねが、何を好きになるかを意識するよりも先に選択しているんじゃないか。意識して未来に好きになるように努力することはできるけれど、現時点で好きなものは理屈をともなった意識の選択ではないと思うのだ。

そして、僕たちは思った以上に好きなものでできている。好きなものは正しくみえるし、美しくみえる。好きなものを共有することで、自分自身を共有し、それを否定されれば少なからず傷つく。好きな人が好きなものを好きになり、自分が好きなものと同じものが好きな人を好きになる。そうやって好きの範囲は広がり、その輪の外のものは、興味自体がないか、醜く見えたりする。そうやって好きとか嫌いが世の中の見え方を色付けしていくのに、もともとの感情は常に変わり続ける。好きだと思っていたものにもいずれ飽きがくるし、嫌いだったものでも距離を置けば懐かしく感じたりする。

一方、愛とは意識を伴った選択だ。極端に言えば嫌いなものだって愛することができるわけで、いわば自分の変わり続ける潜在的な感情に対する意思の決定の表明のようなもの。人を、何かを本気で愛することは、好きで居続けることではない。変わり続ける自分の感情を理解し、それでも、注意深く耳を傾け、時間を分かち合い、受け入れ続ける覚悟を持つということだ。そして、好きだという気持ちに意識の力が上乗せされた時の浸透力は凄まじい。


気がつけば熱くなりすぎて絵を描くということから話がすっかりそれてしまったけれど、でも、そんなに関係ない話でもなくて、僕が絵を描くということは、自分が好きだと思ったものに対する愛情表現なのだということが、ここ数年でやっとわかってきたんです。

そんなことを思った美術部第12回。みんなそれぞれに何かを感じて何かを残してくれたんじゃないかと。

11/30/2016

クリエイティブなヒト


気がつけば、もう11月も終わる。
棕櫚への投稿で結構満足してしまって、最近は告知ばかりで文章というものを書いていなかったなと思い立ち、急に書きたくなった。といってもあまり時間もないので、短めに。

近頃、何かと会話に出てきたりでよく考えていること、クリエイティブであるということについて考えてみる。当たり前の前提として、あくまでこれは言葉の定義の話であるので、個人的な解釈に過ぎないということを一応言っておきます。


さて、クリエイティブであるとは、どういうことなのか。もちろん、イラストやデザインといった一般的なクリエイティブな仕業をしている人のことを言いたいわけでは全然なくて。もっと僕の好きな哲学的な話。
いろいろ考えてみたのだけれど、一つの考え方として、僕の思うクリエイティブな人とは、根源的な自由というものを認識することができて、その上で様々な傾向や反動や思い込みから解放された一歩を踏み出そうとしている人、と仮定してみる。


例えば、単純に絵を描くという行動。白いキャンバスがあり、画材は自由に選ぶことができるとする。そこに何を描くかは完全に自由。形も色も、言ってしまえば白いキャンバスである必要もなければ、実は全く何もしなくてもいい。そこには完全なる絶対的な自由がまずある。ということを、本質的に体感し、理解するきっかけが生まれる。はじめはその無の空間の大きさに圧倒されるかもしれない。不安でたまらなくなるかもしれない。いつも何かの限界によって制約されていた中で求めていたはずの自由というものの圧倒的な重さや残酷さを痛感する。その自由を目の前にして、自分の存在が確認できない不安にかられる。自分はその無の一部であり、そのものだ。その自由という空間と同化してふわふわと漂っている。しばらくすると、ふと自分の好きなものや人、自分に与えられた能力、その絵を見てくれる人、今までに描いたことのあるものや、見たことのある絵、憧れの画家や、心を揺さぶった情景といった自分という存在をこの世界に繋ぎ止めていた、地面や壁や天井、いわば自分の心の部屋とでもよべるようなものが見えてくる。それはこの世界に自分が存在しているという安心感を与えてくれる。その自由な空間から離れ、自分で定めた自分という存在の限界が、真っ白に圧倒的に目の前に立ちはだかる無の中を進んでいくための力強い道しるべになる。しかし、その道しるべをよくみると、これまで自分を振り回してきた傾向や反動が数多く含まれていることに気づく。やはり自由でありたいと思い返し、踏みとどまってもう一度真っ白のキャンバスを眺めてみる。どうすればいいかわからない。しかし、どうにか進まなくてはならないということだけは、なぜだかはっきりとわかる。その悪戦苦闘の中で、踏み出そうとしている一歩が、クリエイティブな行動であると、僕は思う。結局、その一歩もある傾向の一つに過ぎないのかもしれない。しかし、心のずっと奥の方、自分の部屋の深くに隠された扉から、世界の核のようなところに直接つながっていて、それは世界の全てを密かに繋ぎ、そこには白いキャンバスに何を描けばいいかがしっかりと記されているような気がする。

そして、こんなクリエイティブな行動をとっている人は、世界のいたるところで様々なことをしていて、それぞれが少しずつそのつながりを広げて行っているように感じる。僕もそんなクリエイティブな人になりたいなぁ。

11/26/2016

シュロテン

この度、挿絵と文章で参加させて頂いた文芸誌「棕櫚(シュロ)第5号」の発売を記念して、明日からマルカフェで棕櫚展が開催されます。クリスマスまでの約1か月ほど。僕の挿絵も2点あるし、棕櫚も購入できるし、ご飯すこぶる美味しいし、中の人をはじめそこに関わる人みんなで作られていっているような不思議で素敵な空間です。明日27日(日)は13時から開催を記念してちょっとしたイベントもやってるそうですよ。
営業時間をサイトでチェックして是非お立ち寄りください。
http://ameblo.jp/malucafe/entry-12222635192.html

11/08/2016

Listen to Your Heart

奥さんの個展が東京三宿のギャラリーUnicaにて11月8日(火)から13日(日)までやってます。

僕も主に夕方頃からですが11日(金)以外は毎日アシスタントとして在廊予定です。
ぜひ彼女の空間を通して聞こえてくる音を体験しに来てくだい。

Yu's exhibition will start on Nov 8th(Tue) till 13th(Sun) in Mishuku, Tokyo. We successfully installed all the goodies today! Come visit and experience your own sound in her space.

https://www.facebook.com/events/194685860941660/


http://unica.link/events-news/exhibition/1998

10/31/2016

シュロ

マルカフェの文藝部が年に一回発行している総合文藝誌「棕櫚」の第5号が11月に発売します。今回は文藝部と美術部の初のコラボ!、ということで、特集は「挿絵と物語」。
僕も石川友助さんの小説「スパイス」に挿絵で参加させて頂き、さらに調子にのってアメリカでの生活から去年の日本での個展に至るまでの話を載せて頂きました。


去年の個展が終わったころから、ちゃんと言葉にしたいのにどうしてもうまくまとまらずにもやもやしていたものがあって、これはいい機会を頂いたとはじめは気楽に思ってたんだけど、でもいざ書き始めようとすると、初めての緊張はあるし、どんな形であれ本になるという重圧はあるし、何よりも考えが支離滅裂すぎてなかなかまとまらず、なかば諦めかけていて、そこで、初めてなのだし、重い話は置いといて、まずは自己紹介をするような気持ちで書こうと、少し力を抜いて書いてみたら、なんとか一応まとめることができました。あいかわらず廻りくどい言い回しは多いけれど、まぁ自分らしいと受け入れられる程度になったかな。


なかの真実さん作画の表紙も秀逸で、美術部作の挿絵も実に素晴らしいです。参加作家さんの小説を読むのもとても楽しみ。自分の作品を通して、自分が素敵だと思う人たちが作るものに繋がって、また逆に自分の元に繋がってくれることも嬉しい。なんだかこうやって、時間や縁の流れそのものになれるような感覚は素敵だなぁと思うわけです。


棕櫚について詳しくはマルカフェさんのブログにて

ちなみに上の絵は僕の描いた挿絵のラフスケッチ。下の絵はなかのさんの描いた表紙。



10/07/2016

アリとキリギリスの話



ある日、神様に地球の破滅を頼まれた悪魔が
この世界にやって来た。
何も知らずにせっせと働くアリに

「ねぇ、明日世界は燃え尽きてしまうから、
キリギリスのように最後くらい気楽に過ごしなよ」

と、教えてあげた。
次の日、すっかり燃え尽きてしまった世界の果てで、
懲りずにぴょんぴょん
飛び跳ねてばかりいるキリギリスがいたので

「ねえ、明日世界は凍りついてしまうから、
アリを見習ってちょっとは蓄えてみたら。」

と、言った。そしたら、

「アリはせっせと働いてる時に、
キリギリスはぴょんぴょん飛び跳ねてる時に、
一番幸せを感じるように作ったんだよ。」

と、神様に怒られた。



最近たくさん文章を書いていて、ふと思いついた話。


10/02/2016

Figure Drawing #60


またまた下丸子のクロッキー会に参加してきました。
綺麗なモデルさんでポーズもいきいきとしててクリエィティブで面白かった。今日は午前中だけと思って行ったので、午後も参加したくなってしまったけど、後ろ髪引かれながらも撤退。
ちゃんと描こうと思いすぎると面白くない線になるし、気を抜きすぎると雑すぎて何も掴めなくなってしまうし、繰り返すしかないとはわかっていても、もどかしいものです。
今朝はなんだかとても疲れていて、行こうかどうかちょっと迷ったりもしたけれど、やっぱり行ってよかったな。秋晴れの中、心地よい午後の時間を過ごせました。




9/18/2016

figure drawing #59


下丸子にある大田区民プラザで行われる月2回のクロッキー会にまた参加してきた。
半日で帰るか、丸一日いるかで結構迷っていたんだけど、家に帰ったら帰ったで、残った時間をいかに有効に使おうかと頭を悩ませてしまいそうだなと思い頑張って午後も参加。やはり1日いるとぐるりと一周まわる感じがして、細かいことを気にしなくなって気楽にいろいろ試せて楽しい。終わった後はどっと疲れてしまうけど。





9/07/2016

美術部第10回:抽象画


無事大量のゾンビを描く大仕事を終えました。詳しくはまた公開されてから発表しますので乞うご期待。


さて、記念すべき美術部第10回は抽象画の会。大学のころ授業でやった実験的なペインティングを共有できたらと主催させてもらいました。
本当なら実演したいところだったけれど、時間も限られているし、ざっくりとアクリル絵具について説明。おそらく情報ばかりでよくわからなかっただろうなと思うけど、こういうのはとにかく体を動かしてみたほうが早い。


自分の描いた完成品が上。なんだか掴みどころがなくて、とても途中っぽい。時間が来て終わったから実際途中なのだけど、まぁ中途半端だな。試しては塗り、削り、また塗りを繰り返すこの作業。行き当たりばったりなのが作業の面白さではあるけれど、全体的にこじんまりとしたことを繰り返した結果こじんまり感を抜け出せなかった。下準備としてサンプルで適当に作った下の絵のほうがまだ面白い。何度となく言っていることだけれど、自分の精神状態は面白いほど絵に出てしまう。きっと主催者として大きな失敗をしないようにうまくこなしたいと思っていたのだろうな。

なにはともあれ、みんなそれぞれに面白い抽象画を描かれていて、変な言い方だけど、いいなぁと思った。




さて、家に帰ってふと気になって大学の頃に描いた抽象画が残っているかなと探してみたらちゃんとアーカイブしてました。すぐ下のタイル状のが今回の美術部と同じように実験的にいろいろ試したもの。約3時間の1回の授業でたしか全部描いたと思う。そしてその下のは、Abstraction (抽象化?)のプロセスを学ぶための授業で左のリアルなものから順にどんどん抽象具合を強くしている。

当たり前の話だけど、抽象と具像、なにも相反するその2つにすべてはっきり分けられるわけではなく、その間は段階的に繋がっている。しかもその間をいったりきたりする自由が作り手にはいつも与えられている。構図を考える時は、シンプルに抽象化された形から始まり、細部を足していくなかでリアルになっていくけれど、さらに寄っていって拡大されたミクロな世界はまたとても抽象的な色や形の組み合わせでしか無くなる。まるでカメラのピントを合わせるように、現実世界で見てるときと同じ距離でみる時だけリアルであるだけで、それ以外の焦点の時には抽象的な別次元の世界が存在するみたいだ。そして、その現実的に見えるかどうかの距離感は、人によって微妙に違うのかもしれない。









8/20/2016

ゾンビとサカナとクモ

今、帰国してからおそらく一番大きな仕事をしている。とても楽しいのだけど、とても忙しい。とにかくたくさんゾンビやらモンスターを描かなくちゃならない。

朝太陽が昇る前から絵を描いて、夕方仕事を終えて公園を散歩していて、とても綺麗な雲を見た。最近入道雲が綺麗だ。特に朝や夕方の角度のついた光によって神秘的に照らされる。

心がぞくぞくするような雲を描きたいなぁと昔からよく思う。しかし、雲だけで魅せられるほど画力に自信がないので、いろいろ楽しそうなものを描いてその後ろに全力で雲を描きたい。

そんなことを考えながら、一日中仕事でゾンビを描いた息抜きに毎度お馴染み空飛ぶサカナをたくさん描いた。

8/01/2016

おタカさん

木綿とおばあちゃんの大切な大切なひと時。
木綿のお姉ちゃんが写真に撮ったものを大事に使わせてもらいました。
多くの人に心に響くと言ってもらい、一層嬉しい一枚となりました。
96年も生き抜くってどういうことなのか僕にはまだまだ全然想像つきません。

7/27/2016

キイロ

なんかバタバタしてるなぁ。余裕がない。
きっと長期に渡って取り組んでいたプロジェクトが佳境を迎えているからな気がする。

だから、というわけでもないけれど、気の抜けた顔の自画像。
なんとなく。

すっきりしたいものです。

7/07/2016

OK OKAY MAG

OK OKAY MAG というオンラインマガジンに掲載されました。(英語です。)

こうしてランダムに世界の誰かに見つけてもらえるのは、本当に嬉しい瞬間です。認められたいという欲を否定してしまっては前に進めない。けれどもその欲に酔ってしまうと底なしの欲に飲まれてしまう。しつこいようだけど、ちょうど中間あたりがいいんだろうね。

7/06/2016

figure drawing #58


いつもとは違う、新たに知人に教えてもらったクロッキー会に参加してきた。朝から夕方まで丸一日というなかなかハードなスケジュール。

最近不眠気味だった躰に鞭を打って行っただけの甲斐があり、とてもとても楽しい時間を過ごすことができました。

あぁそうだよね、人を描くってこうだよねって、マンネリしてきていたもう一つのクロッキー会の不満点を再確認してしまった。薄々感じてはいたけど、やはりモデルさんの生き生きとしたポーズに、描かずにはいられない、描かされる感じが自分は好きなようです。(言うまでもなくこれはあくまで個人的趣向です。面白くないポーズは上手く描けないという自分の画力の無さとも言える。)

また丸一日。長いけれど、長いからこそ腰を据えて、違う画材を使ったりといろいろ試すこともできる。頻度を減らしてその分一回を長くするのもありだし。いっその事乗り換えてしまおうか…






6/20/2016

figure drawing #57


つい先日のクロッキー。あまり悪く言いたくはないけれど、なんだか覇気のないモデルさんだった。こんなに描きたいと思わなかったのも久しぶりだ。それは自分だけではなかったようで、部屋全体からどんよりと退屈そうな空気がにじみ出ていたように思う。手が止まってしまっている人もいたし。機転を利かせて、最後5分ポーズを増やしてくれて、やっと活気が戻って楽しむことができた。5分ポーズはいい、5分ポーズはいいと、繰り返し言っている人が印象的だった。

6/19/2016

チチノヒ

父の日ですね。
愛する野菜を見つめる少し疲れた顔。
日本に帰ってきた大事な理由の一つに家族との距離感がある。

自分と妻の家族を知ることは自分と相手とその関係を知るのにとても大きな手助けになる。その距離感はそれぞれの時代や環境に合った距離があると思うし、家族と呼ばれる存在のあり方もそれぞれあると思う。飛行機で12時間ぐらいかけて数年に1度くらい会えるのが丁度いい人もいれば、毎日会って確かめたいことがあるかもしれない。

16歳で寮生活を始め、19歳でアメリカに渡ってしまった僕は、自分のことで精一杯で30歳も半ばを過ぎてやっと自分の家族に正面から目を向けられるようになった。毎日10時間10日間も瞑想をしに行った時も、家族のことに一瞬でも想いが至ったのは全てが終わって何気なく歩いている時にふと、あ、そういえば、と思うだけだった。
自分の存在をまるっと受けれてしまった時、それまで大嫌いだった父も一緒に全部飲み込んでしまったような不思議な感覚があって、憎悪は跡形もなく消えて、これまで積み上げてきた自分の歪んだ傾向と習慣と、向き合うべき現実だけ残ってた。

帰国して2年半。父親は変わらず元気そうに畑仕事に精を出している。自分も相変わらず自分のことに大忙しで、日々の大半は家族のことなど忘れて、同じ日本に住んでいても、自分の家族に会うのは年に2回もあればいいほうだ。
それでも、この2年半で、ずいぶん多くのことを自分や妻の家族に教えてもらえたように思う。

6/06/2016

パノラマ

ひと月ほど前に新しく入手したペンを試しに近所の多摩川台公園へ行った時の絵。ペンの走りがとても心地よく、気持ち良くスケッチを終えることができたのだけど、後で見たら自分の筆圧でペン先が結構潰れ、このあとすぐに使えなくなってしまった。筆圧が強すぎるのも問題だけど今更簡単には治らないし、残念ながらこのペンは次は買えない。残念。

描き心地って描く気分に影響するし、その気分は線の雰囲気を変えてしまうと思うから、なかなか大事な要素です。世の中理屈で構築されてるものがこんなにも増えたのに、なんだかんだ言って、概ね人の気分や感情で動いてるからややこしい。

5/24/2016

美術部第8回:御嶽山神社

今回のマルカフェ美術部はマルカフェ真裏の御嶽山神社にて。
真夏日の木陰で、気の抜けた鳩の声と、今にもその辺から飛び出してきそうな近所の保育園児の遊び声を聞きながら、今日も日本は平和だなぁとしみじみ噛み締めるようにスケッチを楽しんだ。いつもよく一人でやっていることを、いつも通りのリラックスした心で(靴まで脱いで)、でもふと横を見ると、気づけばもう8回目になる美術部部員がそれぞれの場所を見つけて各々に描いている。自分の描いた絵を見てもらうのも楽しみで、またそれぞれの捉える世界を見せてもらえるのも楽しみだなぁと思いながら、黙々と描いていた。講評時、タバコの灰まで画材にしてしまうマスターの自由な創作性が特に印象的でした。


実は前夜知り合いの結婚式の二次会で、渋谷という不慣れな街で珍しく遅くまで飲んでいて、二日酔いというほどでもなかったけれど、ふわっと気の抜けた状態で、暑い陽気も手伝ってなんだか夢見心地な時間でした。

5/21/2016

figure drawing #56




5月も気づけばもう後半。毎月恒例のクロッキーに行ってきました。

1枚目を描き始めた時は、「あ、今日は自然に集中してみえるかも」と思ったんだけど、次の瞬間、その大事な集中力はぽろぽろと手からこぼれ落ちてしまい、そのあとは全くと言っていいほど集中できなかった。というか、描くこと自体がとてもだるかった。描く気が起こらない時のクロッキーはとてもつらい。とにかく面倒くさいという倦怠感に頭からすっぽり覆われていた。

きっと今週、特に前日までの二日間、ひさびさにぎゅっと時間の濃縮された仕事をしたので、リソースが切れていたんだろうなと思う。しかし、人生37年でも生きているといろいろ学ぶもので、こんなことも過去に何度もあるし、こんな時はとにかくじっと嵐が過ぎ去るのを待つ。ということを覚えた。すると、このダウンの時間が次を楽しくしてくれるし、この時の踏ん張りがあとあとで力になる。なんにせよ、人間の頭はある程度なんにでも慣れるし、飽きる。そして、大概は時間が解決してくれる。長引くとつらいけど。


今回のモデルさん、にかかわらず、いつもある程度そう感じるんだけど、いろいろ注文を付けられる前半の長めのポーズよりも最後の自由にできる5分ポーズの方が個性も出てくるし生き生きしてて描いていても楽しい。なんかはじめにいろいろ言われているうちにオーラのようなものがシャットアウトされていく感じがするんだよなぁ。描ける人にはちゃんといい絵が描けているし、主催者の大事にしていることもあるだろうし、僕なんかが何か言える立場では全然ないんだけどね。



5/08/2016

ハハノヒ

Happy Mother's Day!!

世界中の母親の皆様、もしくは母親的な皆様。
いつもいつもありがとうございます。

感謝の気持ちを込めて花を描きたいなぁと思って出かけてみたら、ちょうど良い花がちょうど良いところにありましたよ。



4/28/2016

美術部第7回:踊る人

美術部第7回は踊る人。
踊れる人というのは本当に憧れます。思うがままに空間を移動しながら4つの次元を見事に凌駕していると思う。

さて、今回動いている人を描くということで、ざっくり描ける6Bのグラファイトのスティックを用意していきました。大学に行き始めて確か一番最初の学期にとっていた授業だったと思うのだけど、そこで先生が教えてくれたのがGestureという描き方。当時は確か木炭を使って30秒ぐらいの短時間でとにかく対象物のエネルギーの流れをつかめというふうに教わった。先生曰く「これから骨格とか筋肉とかいろんな知識を身につけていくと思うけれど、どんなに正確に描くことを覚えても、このGestureをちゃんと捉えられなければ正しい絵を描くことができたとしても、活きた絵を描くことはできない。」とのこと。絵を描くときは今でも一番初めにこれを意識するようにしている。うまく捉えられないことが多いけれど、これがうまくできると確かにそのあとがスムーズに進む気がする。その先生もそうだけれど、アメリカの田舎の短大に通っていた初めの2年に精神面とか楽しさとか、大切な基盤をじっくりと学ぶことができて本当によかった。LAの大学に編入後にならった技術的商業的側面ももちろん大事だけれど。

一つおまけ的にマーカーを使って描いてみたけど、上の絵はなんとかバランスが取れてるかなと思った5点で、実際はこの3倍ぐらい描いては紙を無駄にしていた。難しかったけど、どんどん踊る人に惹きつけられて自分の心も躍り出すようで、至福の時間でした。



講評の時にアナログとデジタルの哲学的な話になって、こういう話は大好きなので、少し熱くなってしまいました。

アーカイブとい観点からみた責任みたいなものは確かにとても大事だと思う。実際、デジタルで描いたものはアナログで描くとき以上に完成品に気を使う。アナログのものは、ある程度雑に扱っても1点ものという価値をいつも持っていてくれるのに対し、デジタルから出力されたプリントは、いつでも複製できるせいで傷がついた時点で価値が大きく損なわれてしまうので、額装が完了するまで死ぬほど気を使う。皮肉なことだけれどアナログなら楽なのにと思ったことも数知れず。

また、その時はタイミングを逃して言えなかったのだけど、 大事なのはこういう議論や迷いそのものかもしれないと思う。アナログで描いている人が、アナログのほうが価値があると決めてしまったら、やはりそこには傲慢さが生まれ、何か大事なものが損なわれてしまうと思うし、また自分は今デジタルで描いているけれど、デジタルで本当にいいのか、実はデジダルじゃダメなんじゃないかと、自問し続ける謙虚さはやはり必要だと思う。そういう迷いや不安が、ある種の優しさみたいなものを絵に滲ませてくれるかもしれないし、また迷った末にこれでいいんだと進める一歩が絵に力強さを与えてくれるかもしれない。

前にTVで100歳を超える画家が言っていた。100年生きてもわかったことなどありゃしない。でもその迷いが文化を作るんじゃないかと。なんて心強い。


ダラダラと長くなってしまったけど、結局のところ、こうやってあーだこーだと好きな事を、好きな人達と、時に真面目に、時に面白おかしく話せるということが本当に楽しい。



おまけ:下は10〜15分ポーズしてくれたので、スケッチ感覚でペンを使って描こうとしたのだけど、残念ながら途中でペンのインクが切れてしまいました。




4/18/2016

figure drawing #55




引越し後すぐにあったクロッキー会。やはり心の乱れか、線を思うように扱えなかった。でも良い息抜きにはなった。一つ試しにマーカーで色を入れてみようとしたけれど、思ってたより色が強くバリューも暗すぎて全然思ったようにできなかった。

やっとひととおり物が片付いて、ブログをアップする余裕ができた。あとは幾つかものを買い揃えたら、ルーティンを整えて、仕事や遊びに集中したい。ちょくちょく散歩に出てみたけれど、心地よい自然もあるし、街の雰囲気も便利で面白そうだし、楽しく過ごせそうだと思う。

4/07/2016

サクラチル

近所の桜も見頃。少し葉が出てきてしまっているけど、散ってるところが一番好きかもしれない。動きがある方が好きなのは、飽きっぽいからなのか、それとも猫的な動物的本能か。


3/31/2016

美術部第6回:店長

美術部第6回目の題材は犬。マルカフェの店長です。
覚悟はしていたけれど、とにかく動く、動く。
たまに人や動物で動くものを描く練習をしたりするけれど、いつもながら苦手だ。
しかし、いつもながら描いていると慣れてくる。時間の流れに目と体が慣れる。

動くものに限らないことだけれど、ものを見て描く時、見たままにすべてを描けるわけではないので、そのもののエッセンスのようなものを理解して、なるべくシンプルな形でそれを抽出することが、ものを見て描く際のコツのようなものだと思っている。とはいっても、目でものを見ると、そこには無数の情報が溢れているので、核心をつかむのが難しい。写真から写す場合はトレースという作業を行えるので、ある程度そのままそこにある情報を単純に移すだけでもそれなりの形になるけれど、実際に見て描く重要性はこのエッセンスの抽出と単純化にあるように思う。

で、とにかく描いていて、後半戦余裕が出てきたので、構図を整えて描いてみようと描き始めて、最初は吹き出しをつけて何か喋らせようと思った。普段からよくスケッチでやる方法なのだけれど、それで、店長を見ながら、うーん、と頭を捻らせてみたのだけど、何も言葉を思いつかなかった。店長は何もしゃべっていなかった。それで、今度は彼の心を絵で捉えてみようと思って描いたのが上の絵。なんかわからんけど、こんな感じに見えた。

下は幾つか描いたランダム描写のうちの一つ。適当なアングルをいろんな色で重ねたりしたら面白いかなぁと思ったけど、全然思ったように描けず、一つだけやっと少しちゃんと描けた。