10/31/2017

ソノゴ

つくる君のその後をアップデートしよう。(長いよ)

前回書いたのが8月3日で、それから11日後の8月14日、我が家につくる君が来て3週間。外来で経過を診てもらう予約が入っており、酸素ボンベを背中に、つくる君を前に抱っこして、電車で横浜の病院まで3人で出かけて行った。

外来で診てもらうと、血液中の酸素濃度がかなり下がっているとのことで、急遽そのまま入院する事になる。原因ははっきりとはわからないが、とにかく心臓内の弁逆流が増えている 。また、肺の状態もあまりよろしくない。軽い風邪か、ミルクを誤嚥してしまった跡のように白く写っているとのこと。検査をして、酸素の値が回復するまで退院できないと言われる。まだまだ元気そうにしていたし、なんだかとても残念だったが、身体が成長すればいずれは何かしらの処置が必要だったのだからとわかっていたしと思い、でも、少しでも早く退院できればという期待も残しながら2度目の入院生活が始まる。



入院して10日経った頃、ミルクも今まで以上に飲んでいるし、ぱっと見は元気そうなのに、なかなか酸素値が回復しないので、具体的な心臓内の情報を得るためのカテーテル検査というものをする。足の血管からカテーテルを心臓内部まで挿入し、造影剤を使って、血流を撮影したり、心室のサイズを測定したりする検査で、通常はこの検査のために数日入院し、そのデータを元に手術の予定を立てて、改めて手術に向けて入院するというのが、一般的な流れになる。また、つくる君は産後直後の手術で肺動脈を絞扼しており、成長に伴いそれがきつくなっている可能性もあるので、場合によっては同じ検査中に、カテーテルを使ってその縛りを緩めるという処置の準備もして検査が行われた。

いざ検査をして、判明した新たな問題が2つあった。その前に、肺動脈の絞扼にはまだ問題はなく、そのための処置は必要なかった。それよりも問題だったことの一つは、まず心室の伸縮が正常なものに比べ、かなり弱いということ。一時的に更に弱っているということもあるが、先天的に弱いかもしれない。二心室修復に必要な左心室の大きさはギリギリ充分にあったのだが、このままでは壁を修復してしまうと左心室だけで全身に血液を送るのは難しい。そして、もう一つは肺の血管抵抗がかなり高いということだ。このために肺に充分に血液がいかず、酸素を全身に供給できていない。この二つが組み合わさって悪循環を起こし、心臓と肺の両方に更に負担をかけている。また、肺の血管抵抗が高いと、心臓を介さずに直接静脈を肺につなぐ一心室修復も難しくなる。(上大静脈を繋ぐ手術をグレン、下大静脈を繋ぐのをフォンタンと呼ぶ。) つまり、これまで頼りにしていた二方向の手術がどちらも難しいという可能性が出てきたのだ。更に今の状況を見る限り、いつ急変してもおかしくないと言われてしまう。

今はとにかくカテーテル検査の負荷もあるので、安静にして回復を待ち、心臓の動きを助ける薬と、肺の血管抵抗を下げる薬を投与して、その結果をみて次の対策を考えていこうということになった。これらの薬はどちらも効果が出るのに数週間という時間が必要なので、まずは忍耐強く待たなければならない。

なんということだろう。新たな絶望の波がやってきて地面が足元から音を立てて崩れていくような気がした。それまでは、どんなに今が大変でも、とにかく手術をすればなんとかなるという希望にすがっていたのだと思う。その中で、できれば手術の回数の少ない方、術後の回復が楽な方になってくれればいいなと。しかし、もしかすると予定していた治療方針はどちらも考え直す必要があり、最悪の場合もう打つ手がなくなる可能性まで見えてきた。心臓の循環を根治できずに、低酸素状態が続くと、長い年月をかけて別の内臓に負担がかかるため、どうしても青年期ごろには内臓に異常が発生して若くして命を落としてしまうという。(もちろん20年しか生きられないと言われ、もっともっと長く生きた人もいるが)

そんな結果をきき、すっかり気持ちが弱気になっていたカテーテル検査の翌日、朝早くに病院から電話があった。明け方つくる君の容態が急変し、集中治療室に運ばれたのでなるべく早く病院来るようにと。いつ心肺が停止してもおかしくないほど弱っていること、最終手段として、人工心肺に繋いで心臓を休ませる処置のリスクと可能性についてなどを説明された。検査で血液中に注入した造影剤が、今のつくる君の心臓と肺にはかなりの負担になったというのが主な要因らしい。人工呼吸器が繋がれ、かろうじて生きている、そんな様子だった。

今思い返せば、この頃を境にして、つくる君にまつわるいろいろな物事への自分の心の持ち方が変化したように思う。つくる君が家に居たたった3週間がどれほど幸福な時間であったのか、生きていてくれるということがどれだけ有難いことなのか。そして、いつ居なくなっても後悔しないように生きるということが、どれほど難しく、大切なことなのか。言葉にしてしまうと、今までに何度も耳にしたことのある月並みな言葉の羅列になってしまうし、人の欲というのは底なしで、どんなにシンプルにいようと心がけても、いつかまた生きていることが当たり前になり、次なる欲望が湧いてきてしまうものなのかもしれないけれど、この頃を境に、初めて自分はつくる君の存在を、手放しで受け入れることができるようになったように思う。普段は鮮やかな生の陰に身を潜め、遠くからじっとこちらを見ているだけの死の存在がすぐそこまでやってきて、僕らの背中をいつも撫でている。しかし、それ故に生の喜びは恐らく通常の何倍にも敏感に感じられる。あえて自らこの苦しみを望みはしないし、抜け出せるのなら今すぐにでも抜け出したい。しかし、この経験を通して得たものもまたとてつもなく大きい。


集中治療室に10日から2週間ほどいるあいだに、有難いことに薬が効いてくれて、少しずつ体力も回復し、普通病棟に戻ることになった。今回の体力低下に伴い、ミルク誤嚥の可能性をぬぐいきれないことから、肺を守るために鼻から注入用の管を十二指腸まで入れ、直接24時間ミルクを注入し続けるようになった。また多くの点滴が繋がれているため、抱っこすることもできなくなった。そのようにして、少しずつ薬の投与の量を増やし、心臓の力を補強し、肺の動きを正常化させていくという時間が過ぎた。ただその間も弁逆流の量は一向におさまる気配が無いため、何かしら介入しなければならないということになり、再びカテーテル検査をして、手術の予定を立てることになった。

はじめは10月初めに手術の予定がたてられたのだけれど、急遽空きが出たため9月21日手術を行うことになる。この空きというのが少し変わっていて、今入院している病院には、佐野俊二という、テレビにもちょくちょく出てくるような世界的に有名な循環器外科の先生が、今拠点にしているアメリカから日本の患者の手術のために定期的にやってくるという。言うまでもなくとても人気のある先生で、長いウェイティングリストがあり、日本中から患者さんが集まるらしいのだが、9月21日に北海道からやってくる予定だった患者さんが何かの都合で来られなくなり、急遽空きができたというのだ。そして、その当時つくる君の容態は、手術を待つことのメリットは何もなく、また病棟内でもいろいろな判断が極めて難しいケースということで、佐野俊二先生に立ち会ってもらうことになった。

術前のデータだけでは判断が難しいということで、何通りかの手術プランをもって、あとは心臓を開けて、目で見ながら判断して行くという方針でいざ手術を行った。具体的にはまず弁を治すこと。そして可能であれば二心室修復。もしくは、二心室修復は完全に諦めて、一心室修復の一つであるグレン修復を行う。というのが大まかなプランだった。

が、結果からいうと弁だけを治して、二心室か一心室かの選択は先に持ち越されることになった。やはりつくる君の体の状態的に一心室修復は理想とはいえない。ダウン症の子は、グレンを行ってもフォンタンまでいける可能性は格段に低い。グレンだけでも、ある程度循環はよくなるという見込みはあるが、根治ではないので、やはり長期的な解決にはならない。そうやってグレンだけをおこなってフォンタン待ちという子供はたくさんいるそうだ。具体的には肺の血管抵抗の基準値をクリアできないとフォンタンは行えない。なので、つくる君にとってはやはり二心室修復が理想であり、ある意味では唯一の根治の可能性でもある。(ここは病院や医師によって考え方がわかれるところではある)しかし、現状の弁の形状では、二つに分けることは難しい。それで、この先の成長に伴う変化に望みを残し、弁逆流だけを抑える手術を行うことになった。

術後、手術の規模が小さくなったこともあり、おそらく回復は早いだろうと言われていた。弁の逆流はうまく抑えられ、酸素の値も術前よりだいぶよくなっていた。先のカテーテル検査の時のことがあったので、念のため病院の目の前のホテルに部屋を取り、決断されると思っていたことが先延ばしになったことで、少し拍子抜けしたところはあったけれど、しかしその分早く帰れるかもしれないと少しだけ期待して、しかし、どこかに不安を残しながら夜を過ごした。

次の朝、そろそろホテルをチェックアウトしてつくる君の顔を見に行こうという時に、また病院から恐怖の電話がなる。容態が急変したのですぐに来るようにと。10分足らずで病院に駆けつけると、手術を担当した外科の先生が出てきて、つくる君の心肺が10分前に停止して、今マッサージを施しているが脈が戻らない。原因はまだわからない。人工心肺に接続しなければいけないかもしれないが、手術室にいく時間はないので、このままその場で開胸手術になると思うと。とりあえず、顔は見れず、外に出されて、集中治療室の外で待つ。
15分か20分後、中に呼ばれ、なんとか脈が戻ったことを聞く。開胸手術の必要はなかった。約25分間、心臓は止まっていた。その間マッサージし続けたのでおそらく脳への影響もないだろうという。もう何も考えられない頭で、なんとか顔を見に行くと、真っ白なつくる君がそこに横たわっていた。

原因は、おそらく鎮静剤などがきれて動き始めたタイミングで、血圧が上がり、今まで漏れていた血流が漏れなくなったことで、心室に急激に負担がかかって耐えきれずに止まってしまったのではないかという。しかし、普通では起こらないことなので、医師も看護師も驚き戸惑っているようだった。

どこまでも、大人の思惑通りにいかない子なのだなぁと、変に感心してしまった。25分も止まっていて戻ってこれるものなのかと、その生命力にも驚いた。

そんなことがあったので、再び鎮静剤でしばらく眠ってもらい数日待って再び動かし始めることになった。2回目は順調にいったので、すぐに人工呼吸器もとれ、数値も安定して、手術後1週間を待たずに、普通病棟に戻ってきた。この頃の展開は、目まぐるし過ぎて気持ちはどこかに置いていかれ、あまり記憶がない。ただ何となくついていくのでやっとだった。そして、術後、改めて食道逆流や誤嚥の検査を行い、1ヶ月以上ぶりに口からミルクを飲んで、抱っこもできるようになり、あとは体重の増加を確認したら退院できるかもしれないということになった。


が、そうスムーズにいかないのが、つくる君の身体。ミルクを飲むようになったら、血液中の酸素がまた下がってきてしまったのだ。体重も増えてきたので、その影響もあってか、逆流は術前よりはいいが、手術直後にくらべると幾分増えている。ミルクを飲む量が増えたので、その消化に血流を持っていかれているということもある。そして、これは入院前からあったことなのだけれど、ミルクを飲むと鼻や喉がごろごろいって気道の確保が難しくなる。これらのことが重なって、また酸素の値が安定しなくなってしまったのだ。それでも、現時点でできることはもうそれほど残されておらず、家で一緒に生活したいというこちらの要望も聞いてもらって、11月1日をもって長く続いた2度目の入院が終わることになった。

このまま数値が安定しないようだと、やはり風邪などを引いた時のリスクが大きいため、何か介入した方がいいのではというのが、病院側の今の見解のようだ。その場合は、また11月中にもカテーテル検査のために入院し、手術の予定を立てて、前回先送りにしたグレン手術を行うことになる。

治療方針などは病院によって違うし、何が正しい解決策になるかはわからない。それはわかる。わかるが、しかし、何とももどかしい。結局のところ、相性だったり、後悔しないように納得のいく話を聞けるかというような、とても曖昧なものばかりが天秤にかけられる。

長い間病院にいてわかったが、決して少なくは無い心疾患を持つ子の中でも、つくる君の状態は複雑で難しいケースのようだ。先は長い。長くて辛いが、いつやって来るか来ないかも分からないものに心を奪われ、今目の前にある大切なものを見失わないようにしたい。毎日毎日どこまでも我が子は可愛いのだ。1日でも多くこの時間を楽しもうではないか。


11月4日で6ヶ月になる。


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